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セントサイモン

セントサイモン

概要
サラブレッドの始まりの馬、三大始祖から約200年。
19世紀末、1881年にその奇跡と悲劇の名馬「セントサイモン」が誕生しました。
世界の競走馬は常に最強の遺伝子を中心に交配がされています。
セントサイモンの功績は競走馬としての強さではなく種牡馬としての活躍です。

競走馬での活躍
セントサイモンは1881年、イギリスで誕生しました。
産まれた直後に元馬主が亡くなり、その境遇のせいで当時のルールに則り、
イギリスで最も格式の高いレース「クラシック」(日本でいうG1に相当するレース)に出場することが出来ませんでした。
ただ、グレードの低いレースに出場することは可能であったため、
クラシックを除く10レース、全レースで無敗の成績を残すことができました。

種牡馬での活躍
セントサイモンは1884年に現役を引退し、1886年から種牡馬入りしました。
初年度の産駒(子供)が活躍しはじめると、セントサイモンの種牡馬としての価値はみるみる上がっていきました。
種付け料も年々増加していき、セントサイモンのDNAは一気に広がりはじめたのです。

・種付け料(※1ギニー=約50000円)
 1886年 50ギニー
 1887年 100ギニー
 1899年 500ギニー
 1901年 600ギニー

種牡馬入りしてから3年、1889年当時の種牡馬ランキングでいきなり3位につけ、
翌年1890年には1位に輝き、牡馬としての最高栄誉、リーディングザイアーを獲得しました。
その後、1901年までの12年間で7年間もリーディングザイアーを獲得しその名を世界に知らしめたのです。

セントサイモンの栄華と悲劇
1886年から生涯を終える1908年までの22年間、セントサイモンは775頭も種付けを行い、その産駒(子供)は423頭にも及びました。
急激な拡大を見せたセントサイモンの血統の競走馬も大活躍し、
セントサイモン亡き後もイギリス国内での重賞勝ち馬の半分はセントサイモン系で占められていました。
しかし、一頭の強烈なDNAで広がりを見せ始めた栄華も長くは続きませんでした。
セントサイモン亡き後、数年もただずにセントサイモンの血を色濃く受け継いだ産駒の種牡馬が次々と亡くなっていったのです。
この頃になると世界にもそのDNAは輸出されていましたが、国内での状況もあり、
その後、大きな活躍を見せる産駒がいなくなっていったのです。
セントサイモンは元を辿れば父のガロビン系の血を受け継いでいましたが、
この不遇により世界中でガロビン系を種牡馬として使用することがなくなっていきました。
子(セントサイモン)の活躍により広がりを見せ始めた血統も、自身のDNAによって父の血統を消滅させてしまったのです。
これが俗に言われる「セントサイモンの悲劇」です。

余談
セントサイモンは現役の時にも相当な強さを見せており、「煮えたぎる蒸気機関車」 という異名も持っていました。
また気性が荒かったこともこの名前の所以になっているのではないでしょうか。
日本で有名なディープインパクトも強かったですが、気性の荒さも似てるところがありますね。
競走馬は常に最強の遺伝子をもとに生産される背景があるので、交配はどうしても近親になりがちです。
そうすると肉体的には親に近いものが生まれるかもしれませんが、どうしても気性に難が出てしまいます。
これは近代競馬では避けられない問題なのです。